

『あの頃に は見えなかった渋渋』
大同窓会の開催を記念して、事前企画として「コメント募集企画」を実施しています。
このページでは、皆さんから寄せられたコメントを順次ご紹介していきます。
渋渋を卒業してから、それぞれがまったく違う道を歩んできた私たち。
今だからこそ気づいた「渋渋の良さ」や「当時感じられなかった課題」、そんな一言をぜひお寄せください。
懐かしさを分かち合ったり、新たな気づきに出会ったり――コメントを通じて、同窓生同士がつながり、当日の再会がもっと楽しみになることを願っています。
コメントは以下のアンケートフォームから投稿できます。(200字程度, 上限400字)
あなたの声を、同窓会のあたたかな雰囲気づくりにぜひお貸しください。
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卒業後に感じることは、圧倒的な渋渋ブランドです。後輩たちが凄まじい大学受験成果と社会人としての活躍を果たしてくれたおかげで、母校卒業を驚かれることが非常に多いです(みなさんありがとうございます!)
私は3期生だったので、自分たちで手作りで行事を作っていくのが楽しかった思い出があります。部活の創部、飛龍祭の名付け、スポーツフェスティバルの進化など、今振り返ると楽しかったんだなーと思いますし、未完成をみんなで創る楽しさを教えてくれた学園生活だったと思います。部活はもっと夜遅くまでやりたかったなーと当時は思ってました。
PN:いちのせ(3期)
高校二年の飛竜祭で劇中の木製ベンチを大道具班で製作する際、野口先生には大変ご迷惑をおかけしました。今思えば生徒のやりたいことを尊重する校風だったと思います。現在は新卒で働き始め、先輩に積極的に希望を伝え様々な経験をさせてもらっています。あの時の経験が今の図々しさにつながっていると感じます。
PN:のしよ(14期)
渋渋は授業外のスマホ使用が認められるなど自由な校風が魅力で、英語教育も充実しており、今でも役立っている。渋谷駅から徒歩圏内という好立地に加え、個性的な校舎や素晴らしい友人・先生との出会いも印象的。一方で敷地が狭く、特に運動場や緑が不足している点が課題。大学進学後、緑豊かな環境の重要性を実感し、母校の都市型校舎との違いを強く感じた。
PN:中村隼人(22期)
今思えば校長講話のテーマは時代を20年先取りしていたと思います。 当時持続可能な環境開発の重要性を繰り返しお話されていたことがありました。それが時を越えてSDGsとして世界的なスローガンとして展開されたときはとても驚きました。 課題図書の1つも、宮崎駿監督によって令和の時代に映画化されました。世界が今後どのように変化していくのかを知る貴重な場であったと思います。 また渋渋はダイバーシティを重んじる校風だと感じています。一人ひとりの個性やアイデアを尊重し、肯定しながら各々の興味・関心をシェアできるのは渋渋ならではの文化であり、とても貴重に感じています。
PN:おがわ(8期)
まだ工事中の新校舎で迎えた入学式の日。なんかすごいことが始まる予感がしてドキドキしていたことを今でも鮮明に覚えています。クラスの半分くらいが帰国子女で、純ジャパの私はとんでもないところにきてしまったな…という思いでいっぱいでした。私も英語が話せるようになりたい!と高一で渡米。当時、留学後も留年なしで復学できる学校など他になかったのでとてもありがたかったです。日本での勉強が遅れてしまった私を、先生方は第一志望現役合格までしっかりと導いてくださいました。卒業してからも頻繁に集まる仲間は、本当に一生の宝です。今は渋谷教育学園の新設こども園で今度は”職員で一期生”として働いています。卒園生や保護者に「渋谷教育学園大好き♡」とに言われるのが今の夢です。